93×35 (939Byte)

 

 

指定文化財 詳細

 飯野八幡宮 本殿

  国指定 重要文化財
  指 定 昭和58年1月7日(建第2140号)
  所在地 いわき市平字八幡小路84
  所有地 飯野八幡宮
   桁行 6.36m、梁間 6.20m、床面積 39.46u 

 飯野八幡宮の縁起によれば、文治二年(1186)に御正体を京都の石清水八幡宮より勧請して、見物岡に社殿を建立したという。慶長八年(1603)に鳥居忠政が平城築城のとき現在地に遷座したとされる。現在の本殿は元和元年(1615)に着工し、翌二年に上棟したことが床下の柱に記された墨書銘から明らかである。また、延宝三年(1675)には増改築が行われた。

 屋根は入母屋造り平入りの?葺きになっているが、当初は前室付三間社流造りであった。平面は内々陣、内陣、外陣の三室よりなり、円柱と角柱の組み合わせになる。床は高く、三方廻縁に刎組高欄、脇障子を付けている。組物は柱上に台輪を回した和様三手先組、外陣は正面の角柱を短くして台輪、頭貫を二重に、その中間に三斗を置き、木鼻は三段に重なっている。その中備は正面が肩にひれ付きの中世風蟇股で、側面は近世風である。軒は格組天井に蛇腹支輪で、二軒繁垂木の地垂木には強い反りがある。柱間は正面中央が桟唐戸で、内陣と外陣境は黒漆塗りに金箔押の板唐戸である。両脇と両側面の前端は引違いの吹寄せ舞良戸、内陣の東側は板唐戸で他は板壁である。外陣の格天井の格間には花が描いてある。正面階段の疑宝珠には延宝三年の銘が見られる。

 平成五年、半解体修理工事を行い現在にいたる。福島県浜通りの建立年代の明確な近世初期の壮大な社殿であり、磐城地方における貴重な神社建築である。

              いわき市教育委員会発行「いわき市の文化財」 より抜粋

 大薙刀(銘 備州長船住盛景 貞治四年十一月日)

  国指定 重要文化財
  指 定 昭和49年6月8日(工第1887号)
       昭和48年3月1日 重要刀剣指定
  所在地 いわき市平字八幡小路84
  所有者 飯野八幡宮
   身長 130.5cm 反り 6.5cm

 盛景は大宮盛景といって備前国(岡山県)大宮に住み、相伝備前の作風を伝えて、南北朝期に活躍した刀工である。この時代に流行した大薙刀の典型的作例で、当時の薙刀で健全な姿で残っているものは数振といわれ、貴重な逸品である。

 この大薙刀は薙刀造、鍛えは板目、刃文は丁子直刃、彫物は薙刀樋添樋付、目釘穴二個、拵がある。

 飯野八幡宮は文治二年(1186)石清水八幡宮(京都府)の分霊をうつした神社で、好島庄の総鎮守であった。伊賀氏(飯野氏)は宝治元年(1247)以来好島庄西の預所となり、飯野八幡宮の神主を兼ねていた。伊賀氏は好島庄の外に備前国にも地頭職を受けており、伊賀盛光の所持品と伝えられる。

 またこの大薙刀には黒漆の鞘がつき、柄は黒の千段巻、銀金具付、石突の上部は黒漆で銀の胴がねを着せ、石突は鉄製で平鍛冶町の刀匠・和泉守国虎系の根本伝三郎が貞享三年(1686)八月に寄進したものであり、石突にその銘が刻まれている。

              いわき市教育委員会発行「いわき市の文化財」 より抜粋

 飯野家文書

  国指定 重要文化財
  指 定 平成6年年6月28日(文第147号)
  所在地 いわき市平字高月一
  所有者 飯野盛男
   鎌倉時代−明治時代 1683通

  中世文書が全画像・全釈文・目録を収めCD-ROMになりました。
  詳細は飯野文庫サイトへどうぞ。

飯野家文書は、鎌倉幕府政所執事伊賀光宗を祖とする飯野八幡宮宮司飯野家に伝来する鎌倉期から明治初期にいたる文書で、総数1683通にのぼる。

このうち中世文書は210通。国学者大国隆正の言を容れた飯野盛容によって、明治4年(1871)ごろ178通が9巻の巻子に装丁され、そのほかは未成巻のまま秘蔵された。

 その内容は、関東下知状など好島荘の相論に関する文書、南北朝期の足利尊氏感状・同直義感状など武将としての伊賀氏の動向に関する文書、飯野八幡宮縁起注進状案・飯野八幡宮鳥居造立配分状など八幡宮に関する文書に大別される。これらは、鎌倉期の好島荘の状況を明らかにし、南北朝の動乱期における伊賀氏の活躍を伝えており、あわせて奥州管領の権限をもうかがわせる。また室町期から戦国期にかけての岩城氏の大名化の過程を示す資料でもある。江戸時代には新井白石がその著「藩翰譜」に引用している。

 近世以降の文書は、八幡宮の縁起や由緒、祭礼、飯野家の家譜や系図、将軍家からの朱印状、鳥居家から安藤家までの歴代藩主の寄進状、所領や年貢、神社経営と供僧寺、書状、絵図、内藤家時代に奉納された和歌や俳諧など、広範囲にわたっており内容も多彩である。また、明治初期に置かれた中教院関係の辞令や触、達、願書、社寺明細なども含まれている。東北地方屈指の中・近世文書群である。