国指定 重要文化財
指 定 平成14年10月
所在地 いわき市平字八幡小路84
所有地 飯野八幡宮
飯野八幡宮境内南面中央に位置する、三間一戸楼門である。
楼門の建立は、二階柱墨書より万治元年(一六五八)である。現在の楼門は、三間一戸楼門、入母屋造、銅板葺であるが、銅板葺は昭和二十年(一九四五)に戦災により屋根が類焼したため、昭和四十三年(一九六八)それまでのこけら葺を銅板葺に改めたもので、当初こけら葺であったとみられる。
建立後の元禄十年(一六九七)には星根茸替を行い、元禄十六年(一七〇三)には二階内部に間仕切を設けるなどの改造を行った。その後、享保十三年(一七二八)にも屋根葺替を行っている。その後は墨書、記録などには表れてこないが本殿と同じくらいの周期で屋根葺替などの修理が行われ現在に至っている。
楼門の一階は、柱は八角造柱で礎石建ち。桁行三間、梁間二間で、両側面前端間に随身像を安置し、扉は設けない。一階組物は四手先斗きょう、中備に蟇股を置き、天井は小組格天井。二階は、円柱で、中央間二本の柱は一階よりの通し柱とし八角造、桁行三間、梁間二問、一階側柱より約一支分低減する。内部は一室で、中央間後よりに仲哀天皇社を安置する。側廻り各間には幣軸を入れ無目連子窓とする。縁は切目縁で、四周に跳ね高欄を廻らす。二階組物は三手先斗きょうで尾垂木を入れ、中備は間斗束。軒は二軒繁垂木。妻飾りは叉首組とし、破風を掛け、蕪懸魚鰭付きとする。屋根は入母屋造、銅板葺(旧こけら葺)。
この楼門は、飯野八幡宮社殿の一連の造営時期の中間に位置し、造営開始当初の中世風の伝統的工法から近世工法に切り替わった時期にあたり、その意匠には近世の意匠が多く取り入れられている。また、この楼門は一階柱を八角造とし、一階斗きょうを四手先とし二階縁を広く取り、二階柱間装置に扉口がなく、各間の連子窓がすべて取り外せるように施工するなど、特異な意匠が見られ、何か宗教的な意味かあるのかもしれない。その結果として全体的にはバランスを悪くしているが、年代のはっきりした江戸中期の楼門としては完成した姿といえよう。 |