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指定文化財 詳細

 飯野八幡宮 流鏑馬と献饌
 

  県指定 重要無形民俗文化財
  指 定 昭和58年3月25日(第28号)
  所在地 いわき市平字八幡小路84
  所有者 飯野八幡宮

  神事の詳細はこちらをごらんください

 飯野八幡宮の流鏑馬神事は、現在は九月一日の祭始祭から始まり、九日の円座的祭り、十三日の潮垢離神事と続く。建暦元年(1211)から続く潮垢離神事は、藤間の浦で宮司・騎士・馬の潔斎が行われ、浜辺で採取した貝殻を盃として直会がある。その後、久保木・青木・星野の三家に立ち寄り、庭先で馬を空駆けさせる。

 流鏑馬神事は十四・十五日の午後行われる。騎士は狩りの装束に笠・縢・箙を着け、弓を持つ。笠は五色の紙垂で飾られ、馬の背には蒔絵の和鞍が置かれる。また、馬の四脚は藤間の海岸から角樽で汲み上げてきた潮水で清められ、神前で御祓いをうけたあと、神域を一巡して一の鳥居の前で礼射式を行い、馬場に向かう。馬場では空駆け、生姜撒き、扇子撒き、的矢の順で行われる。的は杉板七枚組みで方二尺五寸の大きさで、十三日に作って置いたものを馬場の三ヶ所に立てる。十四日には献幣使を迎えての例祭が行われ、十五日の古式大祭には神輿渡御と八十八膳献饌が行われる。神輿は稲荷台にある御旅所(子鍬倉神社境内)まで渡御した後、神社に還御する。その後直ちに、八十八膳の献饌が始まる。

 一夜酒・繭形の餅・青さや豆・里芋の御汁・山芋・かじめ・大根・みょうが・河骨・にがいも・ごぼう・ずいき・わらびの御料理・栗・柿・くるみ・柚子の御菓子・高盛のおふかしが旧儀に従って、漆塗りの椀、高杯などの祭器に盛りつけられる。それらを唐櫃に収めて白丁が奉舁する。本殿に献饌された後、境内の摂社、末社を巡って献饌が行われる。

 以前は八月十四・十五日に祭礼を行い放生会と称して流鏑馬の騎士も、領主と宮司それぞれが奉納していた。明治時代に古式神事の行事が政府の命により中止されたが、現宮司の祖父・飯野盛容の努力により八十八膳献饌が続けられた。

いわき市教育委員会発行「いわき市の文化財」 より抜粋

 絵馬 双鷹図

  県指定 重要有形民俗文化財
  指 定 昭和55年3月28日(有民第24号)
  所在地 いわき市平字八幡小路84
  所有者 飯野八幡宮
   高さ 92cm、横幅 135cm

 この絵馬は長方形で、黒漆の額縁を巡らしている。黒漆を塗った地板に、唐獅子の背に乗せた止まり木に、鷹を据えた構図のリリーフを取り付けたものである。右の鷹は純白に、左は普通体に彩色され、彫刻の技法は緻密で、気品のある作品である。彩色も比較的良く残されており、漆工芸の作品としても優れている。残念なことに彫工の名は不詳であるが、鷹をモチーフとした絵馬では県内最古の作品である。

 銘文は金泥にて、次の通りで記されている。
  奉掛 藤原概純敬白
  御宝前
  延宝七年己未正月吉旦

 奉納者の藤原概純とは、磐城平藩内藤家家老の松賀族之助である。後に泰閭と改め、俳号を紫塵と号した。彼の実の祖父は荒木村重の一族で、二万石の大名であった荒木重堅であった。重堅は、関ヶ原の合戦で石田方に属したため、父は浪人となり母方の姓に改め大野市左衛門と称した。のちに内藤忠興に三百石で召し抱えられ、その子供の族之助は、幼くして内藤義概に仕え、二千石の俸禄をうける。元禄十五年(1702)三月二十二日江戸にて没し、墓は鎌倉の光明寺にある。

いわき市教育委員会発行「いわき市の文化財」 より抜粋

 絵馬 引馬図

  県指定 重要有形民俗文化財
  指 定 昭和55年3月28日(有民第25号)
  所在地 いわき市平字八幡小路84
  所有者 飯野八幡宮
   高さ 83cm、横幅 114cm

 唐破風型の金銅製の縁金具をつけた板額に、板面の下地は金箔が押されている。彩色仕上げをしたもので、二人の舎人が一頭の神馬を引く図が描かれている。黒駒は躍動し、轡をとる舎人、手綱をとる舎人の顔と衣文や姿態の描写に生彩があり、鞍の文様や彩色が華麗である。惜しまれるのは、下地の金箔の大部分が剥落していることである。

 絵師は不明であるが、作風からみて狩野派の画人の作と思われる。
 この絵馬の縁金具に「下り藤」の紋所が施されているところから、磐城平藩主内藤氏が奉納したものであることがわかる。

 この絵馬が奉納された寛永二十年(1643)頃は、幕府の施策もほぼ整って政治も安定し、一般に神社・仏閣の創建、再建の機運が高まっていたときである。

 絵馬は元来生き馬の奉納からはじまり、木造の馬や漆塗り木馬を経て、描き馬を奉納するようになった。

 この絵馬は、神の依代としての神馬を描いたもので、絵馬の本流を示すものである。

いわき市教育委員会発行「いわき市の文化財」 より抜粋

 常滑大壺

  県指定 重要文化財
  指 定 昭和62年3月27日(工第54号)
  所在地 いわき市平字八幡小路84
  所有者 飯野八幡宮
   器高 41.0cm、口径 23.7cm
  福島県立博物館に寄託中


 この常滑大壺は、飯野八幡宮古式大祭の神事八十八膳献饌の際に献供される「一夜酒」を醸すのに使われた。

 口唇部にわずかの欠損がみられるが、鉄分を含む陶土を、幅約5cm程度の粘土紐とし、それを約八段に和積整形している完器である。胎土は灰色で、細砂粒を含んでいる。焼成は比較的よく堅緻に仕上り、器肌も常滑特有の茶褐色を呈す。緑灰色の降灰自然釉は、口縁部上面と肩部に一様にかかる。底面は緩い凹凸が見られ、未調整である。少々の砂を蒔き、その上に器体を乗せて焼成した痕跡が窺える。

 最大胴径40.2cm、底径16.7cmを測り、最大胴径は器高の三分の二位の箇所にある。

 口縁部は垂直にN字形に近く折り返され、その幅が細かく、縁帯幅は約1.7cmを測り、上端近くに浅い凹溝がめぐり、肩の大きく張る器形で典型的な特徴を示す。器壁は1.3cm内外。肩部には刷毛状工具によるナデが施され縦筋目が走る。下胴部は輪積された器面を締めるが如くヘラナデされ、その工程は丁寧である。

 この壺を効果的に特徴づけているのは、肩部に押された印花紋の存在である。直径4cm内外の陰五本源氏車紋が五箇、約5.5cm間隔にて一方の面に押圧されている。
 この壺は、十四世紀に尾張国(愛知県)常滑窯で焼かれたもので、出土品ではなく、伝世したことに価値がある。

いわき市教育委員会発行「いわき市の文化財」 より抜粋